05年4月つくばでの新生活が始まりました。訪れたお店、見たい映画、読んだ本などを順次紹介していきます。
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毎年の恒例行事となっている、NODA・MAPの公演を観てきました。(ネタバレがあるので、これから観にいく人は読まないでください。)

野田秀樹氏の脚本は、無関係のことばが無造作に使われている前半から、グッとあるテーマに収束していく後半にシフトしていく重力があります。何をどのように収斂させていくのかを体感するために、毎年劇場に通うわけです。

人によってその収斂先は違うこともあり、その差異を一緒に見た人たちと話して楽しむことで、二度おいしく味わうことができるのです。

さて、今年。僕にとってはその収束先が全くわからない脚本でした。

舞台は火星に移住して1000年近くが過ぎた地球人たちの生活から始まります。滅び行く火星での生活中で、歴史を振り返ることでこうした現状がなぜ起こったのかを見極めようとします。

そしていくつかのキーワードが出てくる。

幸福の指数化・その向上を助けるパイパー・
歴史の隠蔽と空間の制限や侵略
画一的幸福感からの逸脱
その結果として生じたベジタリアンとカンニバリズムの二項対立

至る所に仕掛けはできていました。あとは収束先を見るだけです。
そう思いながら後半に入っていきます。

そして・・・わ、わからない。
なんというか、いつもはあるところに収斂するこれらのキーワードがどこにも繋がらないのです。なんというか、あることを考えると別のことが無駄になり、別を立てると元がたたなくなる。そんな感じの終わり方でした。


仕方がないので、居のパンフを開いてみると、書いてあるのは

『自滅する幸せ』

確かにそれも考えました。数字化して幸せを指数化し、その比較によって幸せを一喜一憂する。ベンサム的な社会厚生の考え方だとも思うのですが、これを語るだけではあまりにも残されたキーワードが多すぎると思うわけです。

そんな思いを何日か抱えながら、今日ある講義を聞きました。
動きが生命をつくる」の著者の池上高志氏の講義です。
その中で彼は、決定論的な系の中に確率の生成機構が存在し、それがカオスであるということを言っていました。池上氏の話はいつも知的刺激と興奮に満ちていて、何かこれまでとは違ったことが起こるのではないかという気持ちにさせてくれます。

知的な刺激を受けた一日の帰り道、ふとパイパーを思い出しました。そうか、今年のNODA・MAPの公演はカオスだったのか。そういう答えがふと浮かびました。ちりばめられたたくさんのキーワードは、各々が決定論的な系(芝居)の中にあるものの、その関係は非周期的な運動を続けている。

そう考えたときに、もう一度パイパーを観てみたいという思いに駆られたのでした。

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【2009/01/10 23:39】 | 芝居
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